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また、スピッツの話ですけど。
『初恋クレイジー』と『恋は夕暮れ』は、私の中で同等の凄まじく素晴らしい恋の歌です。
スピッツは秀逸な恋の歌で溢れていますが、この2曲はホント、もうすぐ30歳になろうとしている男性が作ったなんてちょっと気持ち悪いんじゃないのぐらいにええ曲。恋をした途端から、一番いい時期を駆け抜けている時の曲。恋の切なさを噛み締めている時なんて、独り善がりで自己満足でアイタタ日常茶飯事な限定期間。しかしながら、そんな中にもなんとも心が洗われるようなしみじみした気分があったり。そんな瞬間を切り取った歌。どんなに変な恋をしていたって、この歌の中に自分がいたらそれだけで儲けもん、生まれてきてラッキーってもんです。
人生を楽しめるかなんて、結局自分次第だよなぁ。
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無題
そうですねえ……僕はすべてのマイナスをプラスに転換するのは自分の意志次第だと考えています。ただ自分の生が面白いと思えるのは、他の人や世の中全体が面白くなってこそですね。またこういう考えを抱くに至ったのも他の人からの影響です。だからこう考えることは独我論みたいなものではないし、これを自己責任論だと断罪されると、僕らは何もできなくなってしまう……ってとこでしょうか。
無題
はやしさん、また、ドゥルーズの思想が結構「生」を軽くするのか、重くするのか、本当に能天気な哲学なのか、喜びの哲学なのか、また、話しましょうね。
ところで、俺、ずーっと希更さんが書いているのを読んでいて、希更さんに本当に近しきものを感じています。(・・・それは、純粋におやじネタ抜きにで ということで。)
はやしさんは、大笑いするかもしれませんが、希更さんが根本的にもっておられる発想に、何か、ドゥルーズを読みとく鍵がありそうな、なさそうな、そんな感じが・・・。直感というより、ほとんど、山勘の世界ですがね。でも、山師の山勘だから、案外当たっているかもしれないな って自分で思ったりもしています。
ところで、俺、ずーっと希更さんが書いているのを読んでいて、希更さんに本当に近しきものを感じています。(・・・それは、純粋におやじネタ抜きにで ということで。)
はやしさんは、大笑いするかもしれませんが、希更さんが根本的にもっておられる発想に、何か、ドゥルーズを読みとく鍵がありそうな、なさそうな、そんな感じが・・・。直感というより、ほとんど、山勘の世界ですがね。でも、山師の山勘だから、案外当たっているかもしれないな って自分で思ったりもしています。
無題
荒井さんのコメントに付け加えるべきことはほとんどないのだけど、宮本さんの「自分次第、ということは、自己責任を誘致する」という理屈がよく分からない。また、宮本さんは「自分次第」ということばをおもに行為主義的に受け取っていて、その認識的な部分、つまり「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という状況を忘れているように思う。おれが言いたいのはむしろこの側面なんだけど。
無題
カイザーさん、こう言っちゃなんですが、まるきにドゥルーズを読み解く鍵があるのだとすれば、みみずにだっておけらにだって、もっと言えば森羅万象にドゥルーズを読み解く鍵があることになりますよ。また、カイザーさんの印象に反して、まるきはかなり反ドゥルーズ的な人間だと思います。なにせ、ルサンチマン強いですから。
無題
araiさん、はやしさん。
まずここで、(き)さんの
>人生を楽しめるかなんて、結局自分次第だよなぁ。
という気付き、詠嘆は納得のいくものです。
しかし、はやしさんの
>なにを当たり前の事を…
がコメントされ、そこでこの話を終らせるには違和感を感じました。
araiさんのエントリーにも「全く同感」と感じてたのですが、綱渡り的な危なっかしさも感じていて、何か言い足りないものがあるんじゃないか?araiさんはこの「自分次第…当たり前。」のやりとりをどう見るだろうか?
で、「ただ自分の生が面白いと思えるのは、他の人や世の中全体が面白くなってこそですね。」この発言があったので、
この話の続きはaraiさんのとこで…いつかやります。
まずここで、(き)さんの
>人生を楽しめるかなんて、結局自分次第だよなぁ。
という気付き、詠嘆は納得のいくものです。
しかし、はやしさんの
>なにを当たり前の事を…
がコメントされ、そこでこの話を終らせるには違和感を感じました。
araiさんのエントリーにも「全く同感」と感じてたのですが、綱渡り的な危なっかしさも感じていて、何か言い足りないものがあるんじゃないか?araiさんはこの「自分次第…当たり前。」のやりとりをどう見るだろうか?
で、「ただ自分の生が面白いと思えるのは、他の人や世の中全体が面白くなってこそですね。」この発言があったので、
この話の続きはaraiさんのとこで…いつかやります。
無題
そういうふうに話を聞けば、荒井さんに話を振った理由も分かるけど、いきなり「荒井さんにも話を聞いてみよう!」じゃあねえ。
で、「人生を楽しめるかどうかは自分次第」という命題は、全的にではなくてもある程度の一般妥当性をもつもの、つまり「当たり前」のものとは言えると思う。ただ、注意したように、「全的」にこれが当てはまるか、と言えば、それはたしかに「どうだろう」というものでもあるだろう。たとえば、ナチスによるユダヤ人大虐殺時に収容所に捕えられていた人たちに、「人生楽しめるかどうかは……」とはとても言えまい。しかしおれは、そういう状況下においても如上の命題が妥当することはあり、そして、そのことが「希望の原理」として働くこともあり得る、と考えている。
で、「人生を楽しめるかどうかは自分次第」という命題は、全的にではなくてもある程度の一般妥当性をもつもの、つまり「当たり前」のものとは言えると思う。ただ、注意したように、「全的」にこれが当てはまるか、と言えば、それはたしかに「どうだろう」というものでもあるだろう。たとえば、ナチスによるユダヤ人大虐殺時に収容所に捕えられていた人たちに、「人生楽しめるかどうかは……」とはとても言えまい。しかしおれは、そういう状況下においても如上の命題が妥当することはあり、そして、そのことが「希望の原理」として働くこともあり得る、と考えている。